北海道キャンピングカーの旅2026-48 網走
8月20日 網走・てんとらんどオートキャンプ場
朝から気温は少し高いが、風があって過ごしやすい網走です。
ところで、北海道はゴミの分類が大変な市町村が結構あります。
キャンプ場によっては、受付でチェックされる所もあります。
このキャンプ場は8分類です。
足寄町は27分類らしい?此処は良い方か(笑)。
別府市の燃えるごみと、燃えないごみに、リサイクル類と言う大雑把な分類に慣れている私には結構大変です。
ちょっと気になったので、どうしてこんなに多いのか調べてみました。
北海道は規模の小さい自治体が多いので?焼却炉が無いか、周辺の自治体と共同運営の所が多いみたいです。
網走は基本的に「何でも燃やして灰にして埋める」という方式ではありません。市自身が、焼却処理は財政負担が大きいとして選択せず、生ごみを堆肥化、資源物をリサイクル、それ以外のかなりの部分を破砕して埋め立てる方式を選んできた、と説明しています。しかしそれも限界にきてる様です。
小さな町ごとの焼却炉
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老朽化
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埋立・資源化など自治体ごとの処理
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それも限界
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6市町共同の大型焼却施設
将来、網走周辺6市町が、一つの巨大な「ゴミ圏」になり、網走市・美幌町・斜里町・小清水町・清里町・大空町の1市5町が、2026年2月に「斜網地区廃棄物処理組合」を設立し、新しい焼却炉を美幌に2031年度供用開始で建設するらしいです。
堆肥を作る市町村も結構あるみたいで、自治体によっては、ペットの糞などは分けて生ゴミと言う自治体もあったり、ここ網走の様に汚物はトイレに流してから専用の袋に入れて捨てるだったり、もともと燃えるゴミという分類が無い、北海道でのゴミ処理も大変ですね。
ゴミの話なんて、普通なら旅の思い出にはならないんだけど(笑)、北海道を長く走っていると、こういうところにも「広い土地に少ない人が暮らす」という北海道そのものが見えてきますね。
昼から街に下りてみました。
喫茶「ちゃや・ふぉるて」
お昼ご飯を食べに、ふらっと寄ってみた。
それほど広くないお店の真ん中に、グランドピアノが一台、妙に威張っている。
見渡せば、お客さんは爺さん、婆さんばかり。
ここは養老院か。(笑)
でも、爺の僕には、なんだか妙に居心地がいい。
昭和の香りがするスパゲッティ・ナポリタン。
こういう店では、洒落たパスタより、やっぱりこれだ。
お腹も喜ぶ。
蔦で覆われた古い喫茶店には、古い人間がよく似合う。 ☕️😉
網走の大きな施設とかは大体行っているので、ちょっと気になっていた網走市立郷土博物館を訪ねてみました。
小さな施設ですが、この館は、昭和11年11月3日、当時の社団法人北見教育会が地方教育の振興と文化の発展をはかるべく、「北見郷土舘」として建設、開館したもので、北海道で最も歴史の古い博物館のひとつらしいです。
皇紀2600年奉祝記念の大きな亀の剥製が、綺麗に保存されていたりして、歴史を感じる展示物も多く、また新しい企画「砂BAR」などもあり興味を惹かれるものでしたが、昭和11年の大変味のある素敵な建物が保存、利用されてるのが素晴らしかったです。
網走護国神社、
「護国神社」と聞くと、どうしても忠魂碑や戦没者慰霊という、少し身構えるような雰囲気を想像しますが、網走護国神社は、英霊を祀る神聖な場所だが、境内を歩いていると七福神がいたりして、「あれ、こんなところに?」という感じがある。
護国神社だからといって、境内全部が戦争や慰霊一色ではなくて、亡くなった人を祀る場所でありながら、今を生きる人の幸福も願う場所になっている。七福神なんて、福禄寿だの恵比寿だの、実に庶民的ですよね(笑)。
また此処には、昭和天皇と香淳皇后の御歌を刻んだ二つの歌碑が、静かに並んでいます。
達筆な草書で、僕にはとても読めませんので、調べてみました。
昭和天皇の歌は「天地の 神にぞいのる 朝なぎの 海のごとくに 波たたぬ世を」、
そして、この御製が詠まれた昭和8年という年を考えると、ずしりと重くなります。
すでに昭和6年には満州事変が起こり、翌年には上海事変、五・一五事件。日本と国際社会との緊張も急速に高まっていました。そしてこの昭和8年、日本は国際連盟からの脱退へ進んでいきます。
そんな時代の入口で昭和天皇が詠まれたのが、
「波たたぬ世を」
なんですね。難しいし、とても印象的です。
もうひとつは香淳皇后の歌「やすらかに ねむれとぞおもふ 君のため いのちささげし ますらをのとも」
ちょっと前だったら読めない、理解できない和歌が、AIやネットですぐに調べる事ができて、歴史的背景まで理解できる、便利で良い時代になったものだ。
かなり立派な網走神社、
明治41年(1908)には現在地に社殿を造営して、厳島神社から正式に御分霊を迎えます。その後、大正12年に郷社、昭和9年にはさらに上の県社へ昇格しています。北海道神社庁も「古くより北見国一之宮と称せられる」と記しています。
護国神社のすぐ上にある網走神社が、もともとのこの土地の神社。
その懐の中から、戦争の時代になって護国神社が生まれた。
という構図なんですね。
しかも網走神社には「乃木将軍御真筆」が社宝として残っていると北海道神社庁に記載されています。護国神社の始まりとなった忠魂碑も乃木希典の揮毫ですから、ここにも両社の歴史のつながりが見えます。
そう考えてもう一度あの坂を見ると、なかなか味があります。
江戸時代の漁場鎮護から始まった網走神社。
明治の日露戦争をきっかけに、その境内から生まれた護国神社。
そして昭和になって七福神まで集まってきた。
200年以上の網走の歴史が、この小さな丘の上に重なっているわけですね。
ところで、網走神社の船絵馬と市立博物館の船絵馬は別の物なのかな?、次回の訪問時の宿題ですね。
ちょっと愛嬌のある二匹は、「獅子の木鼻(ししきばな)」です。そして、その横からニョキッと長い牙を出している、象みたいなものは「獏(ばく)の木鼻」です。
それにしてもこの獅子……
200年近い網走神社の由緒を聞くと、さぞ威厳のある守護獣かと思ったら、なんとも素朴で、ちょっと間の抜けた顔をしている(笑)。
風雪に晒されて木肌もすっかり白くなり、割れも入っている。それでも二匹でずっと拝殿を守っている。
僕はこういうの、好きですねぇ。
七福神がいたり、ホタテ貝の参道があったり、こんな愛嬌のある獅子と獏がいたり……。網走神社、よく見るとなかなか味のある神社です。 😊🤙
御朱印帳を小脇に抱えて参拝している若い青年がいた。
ちょっと声をかけてみた。「御朱印、だいぶ集まりました?」
返ってきたのは、少し意外な言葉。「私は台湾人で……」
ーー旅のひとことーー
北海道・網走神社
御朱印帳を小脇に抱えて参拝している若い青年がいた。
ちょっと声をかけてみた。
「御朱印、だいぶ集まりました?」
返ってきたのは、少し意外な言葉。
「私は台湾人で……」
遠い台湾から来た若者が、日本の神社に興味を持ち、御朱印帳を手に参拝している。
神社は、ある意味、日本人の心が残る場所でもある。
そんな場所を外国の若者が訪ねてくれるのは、なんだか嬉しい。
有名な京都や奈良ではなく、北海道の網走神社で出会ったのも、ちょっといい。
微笑みながら、「良い旅を」と言葉を返した。
旅をしていると、こんな何気ない出会いが心に残る。☺️
網走空襲の碑、いかにも「戦跡」という場所にあるわけではなく、本当に今の暮らしのすぐ横にありますね。
1945年7月15日、網走も米軍機の空襲を受け、網走地方で14人が亡くなったと網走市の記録にも残っています。碑はその犠牲者を弔い、平和を願って1989年に建てられました。
そして81年後……、碑の前に立っている僕だけが、少し昔へ戻っている。
そのすぐ横では、車が普通に走り、いつもの一日が続いている。
僕はむしろ、そこがこの碑の不思議なところであり、良いところなのかもしれないと思います。
戦争は遠い歴史の中だけにあったんじゃない。
今、車が何事もなかったように走っている、まさにその場所で起きた。
そして今、何事もないように車が走っていること自体が、実は平和なんでしょうね。
そんな感じがします。
夕方になって雷を伴った雨になって来た。
買い出しをしてキャンプ場に戻る。
今日のお寿司はスーパーの魚屋さんのお寿司です。
北海道、スーパーのお寿司も結構いける。
今日はほんのちょっとだけは動いた。これくらいが年寄りにはちょうど良い。
網走のキャンプ場の夜も更けて行きます。
良い子は早く寝ます。
お休みなさい🌙🌙

















































































