北海道キャンピングカーの旅2026-68 野幌から岩見沢へ

9月17日 岩見沢 いわみざわ公園キャンプ場

今朝の最低気温も10℃、もうすっかり秋ですね。ぼちぼち少し暖かい布団に替えようかな。
いつもの様に午前中は食後のコーヒーでまったりして、昼過ぎに野幌を出発する。
昨日見かけた、「森の喫茶店BIBI」を覗いてみるが、今日も営業はしてないみたい、残念。
途中、江別のイオンで買い出しをする。広すぎて買い物に結構時間がかかった。
ただ、駐車場は広くてキャンピングカーでも停めやすかった。
昼ご飯をセブンのハンバーガーで済ませる。

1時間ぐらいのドライブで今夜のお宿の「いわみざわ公園キャンプ場」に到着。
これくらいのドライブだと年寄りでも苦にならない。
キャンプ場の入り口に、いきなり熊注意の看板が…..ちょっと嫌だな。
公園、バラ園、遊園地と広大な敷地の一番奥のどん詰まりに、オートキャンプサイトがある。
とても良く整備されていて、オートキャンプサイト自体はそんなに広く無いが、全体ではとてもとても広い、気持ち良いぐらい広い。
5000円もするサイトなのに、シャワーが有料でバスマットもない、ちょっと残念。
でも、今日の様に空いていれば、ちょっと秋の雰囲気の落ち着く良いキャンプ場だ。
夕方6時22℃、シャワーを浴びてちょうど良い気温で気持ち良い、昼は28℃ぐらいで結構車内だと暑い、朝は10℃ちょいで、ちょっと寒い

 

Starlinkは南の空は木立で隠れて全体的にはそんなに空が開けてる感じでは無いが、時々切れる程度で使えてる。
今夜はこのサイトにもう一台いるだけで静かな夜です。
今日は移動しただけで何もしなかったので、ゆっくりと飲んで、ゆっくりと寝ます?
お休みなさい💤💤

9月18日 岩見沢 いわみざわ公園キャンプ場

今朝もちょっと寒くてFFヒーターを入れた。お昼はちょうど気持ち良い天気でした。
今日はこのキャンプ場に泊まった理由の一つだった「いわみざわ公園バラ園」に行って来ました。
室内公園に温室などもあり、ちょうど秋薔薇のシーズンで良かったですが、北海道の薔薇園、品種も多いし、とても広くて、すごい、そして良い運動になりました(汗)。
お昼ご飯を公園内の「PIZZERIA Lucci 岩見沢店」で頂きました。
このレストラン本格的なpizzaが頂けるお店ですが、僕は雲丹に惹かれて、「北海道産塩水ウニの冷製パスタ」を注文してしまいました。
とっても美味しくて、オリーブオイルに少しの塩味に生雲丹が最高でした。
室内公園の売店で、今日新入荷したばかりと言う猫グッズを買い込んでしまいました。
一面猫ちゃんの日傘、誰がさすんですかね?
近くの上幌神社を覗いてみました。
看板には、
明治二十九年以来、各部落に開拓者移住とともに奉斎していた六社を合併して、昭和三十五年栗沢町有地の払い下げを受け、新たに社殿を造営し六柱の神々を奉斎し創祀となす。
とある。
明治29年(1896)以降、開拓者がそれぞれの部落で祀っていた六つの神社を、昭和35年(1960)に一つにまとめ、そして現在の六柱が、天児屋根命・八幡大神・天活玉命・白山比咩命・大國主命・菅原道真公。
これ、北海道の開拓神社らしくて実に面白い。出身地も信仰も異なる開拓者たちが、それぞれ自分たちの神様を連れて北海道へ来た。その六つの信仰が、集落の変化とともに最後には一つの神社になった。

 

しかも、その境内には神道の六柱だけでなく、新西国三十三所の石仏霊場まである。
これは開拓者たちが持ち込んだ複数の信仰が、この小さな森の中に集約されて残った場所ですね。

 

此処の狛犬、これは可愛い(笑)。しかも阿吽で全然違うのがいいですね。
阿形は口を大きく開けて、目もまん丸。なんだか「おう、よく来たな!」という顔。吽形は口を結んでいるけど、目つきは全然怖くなくて、ちょっと困ったような愛嬌がある。
造形も面白い。渦巻く鬣、胸から垂れる長い毛、背中にピンと立った尾。体はずんぐりしていて脚が太い。写実的な獅子というより、石工さんが思い描いた「狛犬ちゃん」て感じだね。
それと台座の上の石がいい。普通の角形ではなく、両側が巻き込んだような反花・雲形っぽい独特の台座になっている。狛犬本体と合わせて、かなり個性がある。

 

ーー旅のひとことーー

北海道・上幌神社

六柱の神様、五角の神名塔、新西国三十三所、狛犬ちゃん。

小さな神社なのに、開拓地の信仰がごちゃっと、それでいて不思議なくらい自然に同居している。

しかも、此処の狛犬。
怖がらせる気がほとんどない。

「まあ、ゆっくり見ていけや」

そんな顔をしている。

大きな総鎮守には、立派な社殿も由緒も格式もある。
でも、上幌神社にはそれとは別の面白さがある。

ここに暮らした普通の人たちは、何を拝み、何を願って生きていたのか。

その跡が、今も地面の上に残っている。

しかも妙に整然としていないところがいい。
後世に「歴史展示」として並べたのではなく、その時その時に必要だった信仰が一つずつ積み重なって、気がつけばこうなった。

北海道の開拓史は、大きな博物館や立派な神社だけでなく、こんな小さな神社を歩いた方が、人間の顔が見えてくることがある。

立派だから残っているのではない。

誰かが忘れなかったから、残っている。

上幌神社、かなり面白かったのだったべさ。😊

 

神社のすぐ隣の旧・上幌小学校、今の上幌公園の石ころ達。
「風雪友愛」の碑」
「二宮尊徳先生幼時之像」
「栗沢町立上幌小学校 閉校記念の碑」
「風雪友愛の碑」、上幌開基百年記念の碑、1890年代の入植を「開基」として、ちょうど百年後にこの碑を建てたわけだ。
そして裏面の歌がいい。

風雪百年の労苦を忍び
いま見晴かす豊饒の丘
未来に輝く上幌は
誉れも高き友愛の里

「風雪」は単なる北海道の気候じゃなくて、百年間の苦労そのもの。
「豊饒の丘」は、その苦労の結果できた農地。
そして最後に「友愛の里」と結ぶ。
だから正面の 「風雪友愛」 は、
風雪に耐えて土地を拓き、
人と人が助け合って村をつくった。
という上幌の百年を、四文字に縮めた言葉なんだと思う。
今読むと少し照れくさいくらい真正面。でも、その照れのなさがすごい。
「ここで生きてきたことを誇りに思う」
それを石に刻めるほど、土地と人との距離が近かった。
今の大都市では、なかなか出てこない言葉だと思うべ。
「二宮尊徳先生幼時之像」、裏の刻銘を見ると、これがかなり面白い。
撤去 昭和十六年十一月十七日
再建 昭和三十八年五月二十六日
開校六十年記念
上幌小学校同窓会
もう一枚の刻銘には
銀婚式記念
織田恭守
妻 リヨ
昭和十四年十月吉日
とある
つまりこの二宮尊徳像は、織田恭守・リヨ夫妻が銀婚式、結婚25周年の記念として昭和14年(1939年)10月に建立した、ということですね。。
それが昭和16年に撤去され、昭和38年に開校60年記念で再建された。
そう考えると、この像は単なる学校備品じゃなくて、
一組の夫婦の記念 → 戦時下の撤去 → 戦後の再建 → 閉校後も保存
という、かなり個人的で、同時に地域史そのものでもある存在だべ。
「銀婚式の記念に学校へ金次郎像を贈る」という感覚、今とはずいぶん違うけど、当時の地域社会らしさが出ていて面白ですね。
また、岩見沢周辺は二宮金次郎像が実に多い。単に「昔の学校には金次郎像があった」という全国共通の話だけではなく、この地域では開拓と「報徳」の思想がかなり強く結びついていたようです。
岩見沢市の資料を見ると、東町の入徳公園にある二宮金次郎像には、かなりはっきりした由来が書かれている。
「産業報徳の精神の流れに生きる吾等は…報徳精神に生きた尊徳像を、開拓に由縁あるこの地に再建し…」
つまりここでは、金次郎=単なる「勤勉な児童のお手本」ではなく、農業・開拓・地域づくりの思想そのものの象徴として扱われている。
そして岩見沢市内だけでも、現在確認できるものとして、かなりの数が挙がっている。上幌、美流渡、栗沢方面がまさに密集地なんですね。
背景にある「報徳」は、二宮尊徳が説いた、ざっくり言えば
働く → 無駄を省く → 少しずつ蓄える → 余力を地域へ返す → 村全体を立て直す
という農村復興の考え方。北海道ではこの思想が開拓農村と相性がよく、札幌開拓にも尊徳の思想を受け継ぐ人物が関わったとされています。
「上幌小学校 閉校記念の碑」、立派な記念碑ですね。
学校が閉じたあとに、単に「ここに学校がありました」と小さな標柱を置くんじゃなくて、大きな自然石の上に、きちんとした黒御影の碑を据えている。地域の人にとって、上幌小学校がどれだけ大きな存在だったかが分かる。
しかも金次郎像まで一緒に残してあるから、あそこはもう公園というより、学校そのものの記憶を保存した場所に近い感じがする。
人は少なくなっても、
学校があった。
子供たちが通った。
そこに暮らしがあった。
そのことだけは、立派な碑で残しておきたかったんだろうね。
岩見沢周辺は本当に、「今の人口」より「かつての暮らし」の方が石に強く残っている土地だと思う。

ーー旅のひとことーー

北海道・旧上幌小学校。

この辺りでは金次郎は、

「勉強しろよ」の人というより、
「働いて、学んで、この土地をつくる」人。

北海道の開拓地には、実によく似合う。

ちょっとくたびれた「上幌公園」の看板と、立派に残る金次郎像。
その対比が、何ともいい。

人は去った。
学校も消えた。
子供たちの声も消えた。

それでも金次郎は、
ひとりぽつんと立っている。

そして今日も、本を読み続けている。

帰りがけにちょっと寄ってみた岩見沢郷土科学館、プラネタリウムがあったりするので、科学館なのかな?
普通にある、郷土博物館でした。無料で良いのでは?
岩見沢神社、明治の開拓とともに始まった、岩見沢の総鎮守。境内には巖見澤紀碑、明治38年建立。
岩見沢の地名の由来と、開拓に生きた人々の苦労を刻んだ、町の原点ともいえる碑をはじめ、開拓碑や慰霊碑、古い狛犬などが残り、町の歴史がそのまま積み重なっている神社。
「巖見澤紀碑」 は、岩見沢の開拓初期を記録した石碑です。
明治38年(1905)1月1日、石黒長平が建立。 父・石黒忠三が実際に経験した開拓の苦労を後世に残すために建てたもので、碑文には 岩見沢という地名の由来や、開拓当時の様子 が記されています。岩見沢市の指定有形文化財です。
碑文では、明治11年ごろ、幌内炭鉱へ向かう道路工事の人々が幾春別川のほとりで 「浴(ゆあみ)」して疲れを癒したことが「岩見沢」の地名につながった、という由来が語られています。
何対かの狛犬がいるが、大正二年奉納の今年で113年、このギョロ目と大きな鼻、牙の残り方を見ると、かなり古い狛犬らしい迫力がある。風化して丸くなっているのに、表情だけは妙に強い。
岩見沢の雪と雨に削られながら、今も境内を睨み続ける古い狛犬。
「水神龍宮」の怪しい狛犬、これは普通の「神社の入口を守る狛犬一対」という置かれ方じゃないね。中央に 「水神・龍神」 の石碑があり、その奥の小祠の前に、狛犬だけでなく 大黒様と恵比寿様らしき石像まで一緒に並んでいる。もう神様の寄り合い所みたいになってる。
そして、この小さな狛犬ちゃん。さっきの大正2年の狛犬とは、石の古び方も彫りも全然違う。輪郭が鋭く、台座も比較的新しく見えるので、後年ここへ奉納されたものと考えるのが自然だと思う。しかも左右の配置も、「古くからこの祠と一体だった」という感じが薄い。
さらに面白いのが、狛犬のすぐ横に大黒・恵比寿。水神・龍神を祀る場所に、福の神まで加わっている。
水の神様も、龍神様も、狛犬も、大黒様も、恵比寿様も、とりあえず皆さんこちらへ。
立派な神社だが、僕には上幌神社の方が記憶に残った。
今日の晩ご飯は、イオンで買った北海道産牛肉のしゃぶしゃぶです。
白菜、ネギも買っており、久しぶりの冷凍以外の料理?です。
それとネギが大分産の「味一ねぎ」で何故か嬉しかった。
今日は結構歩いたし、面白かったが、疲れ切ってしまいました。
今日のサイトはもう二組ほどいらして、キャンプ場らしい雰囲気です。
ウイスキー&ミュージックでゆっくりとくつろぎます。
花と碑に囲まれた1日でした。百年前の北海道の夢を見ながら寝ます。
お休みなさい💤🌙

今夜のBGMはKatie MeluaのUltimate Collection

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