北海道キャンピングカーの旅2026-69 岩見沢から美流渡、万字へ
9月19日 美流渡みんなの森運動広場の駐車場
朝はちょっとだけ寒いが、体を動かしていたらちょうど良い感じ、今日はちょっと曇っているが、昼間も涼しそう。
今日から大型連休、何処も人でいっぱいになるのだろう。今いるキャンプ場も今日から連休明けまでいっぱいで泊まれない。何処にいくか悩む。
とりあえず、薔薇園の「PIZZERIA Lucci 岩見沢店」で昨日はパスタを食べてしまったので、今日はピザを頂く。
外のテラス席で向こうに見えるバラ園を眺めながら美味しく頂く。
苗を売っているお店の薔薇がとても綺麗で、九州に送りたいぐらいでした。
途中大きな菩薩像?が目に入り立ち寄ってみる。
高徳寺、現在の公式な北海道八十八ヶ所霊場では高野山真言宗・白峰山高徳寺、第81番札所。寺院本尊は不動明王、霊場本尊は千手観世音菩薩となっている。
握手出来る弘法大師、横の碑に
弘法大師様と
願いを込めて握手をすると
この世に生かされている
喜びを感じ ありがたい
ありがたいと 自然に
感謝の念が湧いてくる
とある。
僕の場合、「今日乃いのち、神に謝しつゝ……いや、大師さん、まだ 寿司食べたいし、ウイスキーも飲みたいです」でした。
それにしても高徳寺、なかなか濃いですね。
入口の巨大な仁王像、握手弘法大師、大日如来、古い石仏群、青く塗られた不動明王らしき像、さらにかなり古そうな多面多臂の尊像まである。
それと、岩見沢市の公式資料によると、高徳寺裏山の「新四国八十八ヶ所霊場」は大正9年(1920)11月建立。しかも八十八体の石仏を、当時の上志文青年団員が一体ずつ背負って山へ運んだという。1体約60kgほどだったそうだ。
裏山の霊場探索は次回の楽しみにしときます。
美流渡へ向かう途中で「珈琲舎 人生の途中(たびのとちゅう)」、キャンカー乗りのマスターと久しぶりの再会です。
美流渡神社、狛犬は三対。
どれも顔が違い、性格まで違って見える。
小さな神社だと侮っていたら、とんでもない。
人には会わないのに、狛犬ちゃん達には大勢会った。
美流渡は、かつて炭鉱と万字線で栄えた町。山から石炭を掘り、人が集まり、商店が並び、鉄道が走った。今歩いてみると、その賑わいが嘘だったように静かだ。
神社には、町が元気だった頃に奉納された狛犬たちが残る。昭和2年には「美流渡市街地婦人会」が狛犬を奉納している。壊れた古い狛犬も捨てられず、今も境内の片隅にいる。
そして、ここには「石炭の碑」がある。
町をつくり、人々を養い、鉄道を走らせた石炭。その石炭が必要とされなくなると、炭鉱は閉じ、鉄道も消え、人も少なくなった。
今の美流渡に残っているのは、神社と狛犬、石炭の碑、鉄道の跡、そして静かな町並み。
石炭で生まれ、石炭とともに栄え、石炭の時代が終わると静かになった町。
でも、消えてしまったわけではない。
歩いてみると、あちこちに「ここには確かに人々の暮らしがあった」という痕跡が残っている。
万字神社、此処の狛犬も可愛い。
しかも面白いのが、耳が横に垂れて、鼻が大きく、目が真ん丸。獅子というより、犬そのものに近い愛嬌がある。胸や胴に渦巻き模様を散らしているのもかなり面白い。
ーー旅のひとことーー
北海道・万字炭鉱
明治の終わりに山が開かれ、大正に鉄道が来て、昭和に人があふれた。
そして、その同じ昭和のうちに、炭鉱も鉄道も消えていった。
歴史として見れば、数十年ある。
でも、一つの町の時間として見れば、あまりに短い。
今残っている神社、狛犬、萬霊碑、御大典紀念碑、西原翁の碑。
あれは全部、町が夢を見ていた時間の置き土産なのだろうか。
「夢を見る時もなく消えていった」
あの人たちの夢は、
いったい何処へ行ってしまったんだろう。
万字八幡神社跡、苔むして壊れかかった階段を登ってみようかと思ったが、やめた。
やめて良かった。階段の上には何もないみたい。
後でわかったが、万字神社に合祀されていた。
「大東亜大戦記念 老年塔」と、崩れて何もわからない碑と狛犬に鳥居がそのまま残ってる。
万字駅跡、寂しい限り、周りに民家もないし、人の気配は一切しない。
一日一本バスがあるみたいだが、乗る人はいるのだろうか?
曹洞宗 海恩山孝禅寺は万字炭鉱の開坑と同じ明治38年に生まれ、炭鉱町の誕生・繁栄・衰退をほぼ全部見てきた寺。
万字の神社が「町の信仰の記憶」なら、孝禅寺はそこで暮らし、亡くなっていった人たちの記憶を受け止め続けた場所と言えそうですね。
この寺にも霊場もあるみたいだ。次回探してみよう。
浄土宗西山禅林寺派 慈光山萬念寺、本尊は阿弥陀如来で、万字の炭鉱町とともに歩んできた寺の一つで、今もこの土地の信仰や供養の場として残っています。
この寺は、いわゆる「お菊人形」でも知られています。大正時代に幼くして亡くなった少女・菊子が大切にしていた人形が寺に納められ、後に「髪が伸びる人形」として広く知られるようになりました。伝承色の強い話ですが、萬念寺を有名にした大きな要素ではあります。
万字を歩く目線で見るなら、萬念寺も孝禅寺と同じく、炭鉱町で暮らした人々の生活と死者供養を今に残す寺と捉えるといいと思う。
萬念寺先の南無延命地蔵菩薩、
万字地域の有縁・無縁の死者を広く供養する延命地蔵。古くから存在したものを、平成10年に万字婦人会などが現在地へ移設・整備した。
元々の建立理由が鉄道工事犠牲者供養だった可能性もあるかも?
万字墓地、炭鉱町・万字で暮らした人々が眠る場所。現在も岩見沢市の墓地として位置づけられている。
万字は1905年(明治38年)の炭鉱開鉱、1914年(大正3年)の万字線開通によって急速に発展し、昭和30年代には万字線沿線人口が2万人を超えるほど栄えた。その一方で、炭鉱事故や病気、開拓・鉄道工事など、多くの死者を出した地域でもあった。
墓地の一角には、三つの慰霊碑が並ぶ。
「鮮人共同墓之碑」は、大正15年9月1日建立。万字周辺で亡くなった朝鮮人を共同で葬り、供養した碑とみられる。
中央の「無縁塔」は、身寄りのない人や引き取り手のない遺骨を供養するための塔。
右の「殉職死亡者之霊碑」は、仕事中に亡くなった人々を慰霊するための碑で、炭鉱町だった万字の厳しい労働の歴史を伝えている。
三つを並べて見ると、ここは単なる墓地ではなく、万字で生き、働き、異郷で亡くなった人、身寄りのない人、殉職した人まで含めて記憶する場所ですね。
今の静かな万字を見たあとでここに立つと、町の表側ではなく、その繁栄を支えた人たちの「死」の側から万字を見る場所だと思う。
今日のお宿は、「美流渡みんなの森運動広場」の駐車場?、トイレはないが水場はあった。
万字駅跡の広場で泊まろうかとも思ったっが、あまりの静けさに、お寺以外何もないので、美流渡まで戻った。
ほとんど人がいないが万字よりはまだましか?微かに街灯りがあり、周りに家もあるので、安心して車中泊できそう。
でも本当に静かで、家や街並みはあるが、人が全くいない。
不思議なところだ。
おかげで、夜は本当に静かでゆっくり眠れた。
でも、何故か炭鉱の歴史が頭から離れなかった。
























































































































