北海道キャンピングカーの旅2026-79 旭川から剣淵へ
9月30日 剣淵 絵本の里 家族旅行村キャンプ場
朝7時、13℃、寒いのもちょっと慣れたし、車内はFFヒーターが入っているので寒くはない。
雨は降ってないが、今日もはっきりしない天気だ。
この公園も花壇がきれいに整えられている。
北海道の屋外で花を楽しめる季節は、もうそう長くはない。
朝晩の冷え込みも強くなり、もうすぐ雪の季節がやって来る。
どこにでもあるインパチェンス?。
それでも、これがこの花壇の今年最後の花?かもしれないと思うと、妙に愛おしく見えてくる。
北海道の短い秋の中で咲く花。
もう少しだけ、咲いていて。
朝ごはんを食べて、片付けをしてTOYOTAに修理に向かう。
1時間程度で修理は終わった。思ったより早く終わった。部品が苫小牧にあってすぐに修理が出来て良かった。
押されて変形しエアーが漏れてたバキュームリザーブタンク?こんな小さなタンクで、ブレーキの効きが天と地ほどの差があります。
ブレーキがかなり効きの悪い車は怖かった。
旭川神社、
旭川神社は、明治26年(1893)、東旭川に入植した屯田兵たちが、この土地の鎮守として創建した神社で、上川地方全体を代表する県社だった上川神社とは違い、こちらは屯田兵の集落と暮らしにより近い神社として始まりました。
境内には、屯田兵や戦没者を祀る顕勲神社、誉田別尊を祀る若宮八幡神社、火防の神を祀る愛宕神社があり、さらに五角柱の地神碑、白蛇石、稲魂石なども残っています。開拓、農耕、火防、武運と、当時の人々の暮らしに必要だった信仰が一つの境内に集まっている感じです。
狛犬も面白く、玉取り・子取りの古い一対のほか、作風の違う狛犬がもう一対あり、時代や石工の違いを見比べることができます。
ほかにも「君が代」の歌碑とさざれ石?、二宮金次郎像などがあり、勤勉や開拓精神を感じさせる一方、夏詣には可愛いペンギンの絵馬もあり、堅い歴史だけではない親しみやすさもあります。
屯田兵の歴史を土台に、開拓・農業・火防・武運・勤勉まで、当時の暮らしそのものを境内に残した神社。見どころが多く、けっこう面白い神社だった。
おもかる石なんてのもあったが、二度目の方が重かった。
願いが遠のいたのか、ただ歳を取ったのか。
とほほ。
末社の顕勲神社は大正4年(1915)建立。もとは「東旭川護国神社」、戦後に現在の「顕勲神社」に改称され、祀られているのは普通の神様ではなく、東旭川出身の日露戦争以降の戦没者413柱の英霊です。北海道神社庁も、旭川神社の末社として「顕勲神社 戦没英霊」と記しています。
そして気になった⭐️五芒星は旧陸軍のシンボルで、もともと護国神社として建てられ、戦前は在郷軍人会が関わっていた歴史とも一致します。
しかも境内には零戦のプロペラや、東旭川出身の加藤建夫少将(加藤隼戦闘隊)関係の顕彰物まであり、この一角だけ旭川神社本体とはかなり雰囲気が違います。
その上、龍、唐草、木鼻までかなり力を入れたかっこいい社殿です。
旭川兵村記念館、
旭川兵村記念館は、屯田兵と開拓の歴史に焦点を絞った資料館。
加藤隼戦闘隊の展示からは戦時下の軍国主義の空気まで伝わってきて、普通の郷土資料館よりかなり中身が濃い。
明治の芝居小屋「小松座」の狐の看板も印象的で、稲荷信仰と興行繁盛を結びつけたものらしく、開拓地の暮らしの幅広さまで見えてくる。
北海道を歩いていると、屯田兵の話はどうしても「北海道の歴史」に見えますが、こういう資料を見ると実際には、九州や四国、東北など各地から人が移ってきて作った歴史だったことが実感できます。
僕の住んでいる大分からも来ていた――そう思うと、旭川の開拓史が急に少し身近になりますね。
「もり蕎麦や 助十郎」、本格的なお蕎麦屋さんで、「富良野牡丹そば」を頂いたが美味しかった。
夜は焼き鳥屋になるそうで、蕎麦が余っていたら蕎麦も食べれる様です。
蕎麦屋飲み大好きです。
塩狩峠・長野政雄 顕彰碑
これで狩活峠と両方見れた。
ただ、僕は人間がどうしても素直でなく、人間の力で坂を下り落ちる列車が停めれるとは思えない。嫌な性格だ。
実際の1909(明治42)年の事故について、町の資料では、連結が外れて客車が逆走し、長野政雄はデッキで手動ブレーキを操作していた。そして「凍った床と振動のため線路上に転落し、肉体が車輪の下になって客車が止まった」と説明している。一方、三浦綾子の小説『塩狩峠』では、自ら飛び込んだという描写になっている……..。
——旅のひとこと——
北海道・塩狩峠
人ひとりの身体で、
坂を下る列車が本当に止まったのか。
そこは、やっぱり少し疑ってしまう。
でも、この歳になると、
そんなこととは別に思える。
長野政雄という人は、
きっと素晴らしい人だったのだろう。
そして、これは素晴らしい物語だ。
疑うことと、思うことは一緒じゃない。
事実を疑っても、人の愛まで疑う必要はない。
狩勝峠では鉄道の苦闘を見て、
塩狩峠では、人の愛を見た。
塩狩駅、
宗谷本線の小さな現役駅。
古い木造駅舎と静かなホームが残り、今も列車が停まる。
春には周囲の約1,600本のエゾヤマザクラが咲き、「一目千本桜」の名所となる。
今日は秋の気配だったが、桜に包まれたこの駅も一度見てみたい。
塩狩峠記念館(三浦綾子旧宅)、
「一粒の麦」の言葉など、少し演出が強いようにも感じたが、三浦綾子が敬虔なキリスト教徒だったことはよく伝わってくる。
それ以上に面白かったのが、この家そのもの。
小説家として知られる前、三浦夫妻は自宅で雑貨や駄菓子を売る店を営んでいたという。
今では『氷点』や『塩狩峠』の作家として知られているけれど、その前には、この小さな店で菓子を並べ、近所の人を相手に暮らしていた。
偉い作家になる前にも、ちゃんと普通の生活があった。その跡が残っているのが、なんとも面白い。
駄菓子の棚を見ると、急に三浦綾子が「文学史の人」じゃなくて、そこに暮らしていた普通の人に見えてくる。
そこが僕は一番面白かった。

























































































